信教上の輸血拒否
--------------------------------------------------------------------------------
輸血を“絶対的に”拒否する患者がいる.キリスト教の一派で「物見の塔」という宗派である.信者は「エホバの証人」ともいう.日本に数万人いるという. “輸血を強行すれば法律に訴える”と宣言している. かなり頑強な信仰をもっており,説得により輸血承諾に成功することは稀である. したがって,輸血の必要な可能性のある手術や麻酔を担当する場合は要注意で,軽卒に施行してはならない.
絶対安全な道はないが,賢明な対応法としては
手術と麻酔を拒否して他の病院に送る(そっち病院でこまるから,本当の解決ではないが).
自分の責任で施行しないで,なるべく上司の指示を仰ぐ.教授や部長や病院長から“命令”でやることにする.万一,裁判になっても“個人対応”でなく,“大学や病院”が対応して呉れる. 東大の方針は,1978年に“理解力がある成人の定時手術の場合は患者の希望をかなえる.その際に病院長の命令の形式をとる”という方針が科長会で承認を受けた.しかし,この方針はその後なしくずしになってしまい,現状ではあまりまもられていない.曖昧なままである.
私自身は,“病院長に許可を貰おうと知らせたら,病院長が手術中止を命じた”という経験がある.
緊急手術で患者が子供の場合(つまり親が信者の場合)は,医師の判断で輸血を強行してよい,と考える法律的な根拠がある.実例もある.
逆に,定時手術で患者が成人の場合は,医師の判断で勝手に輸血を強行すると裁判で負ける可能性がある,と考える法律的な根拠がある.
この問題に関する判例は日本にはない.裁判沙汰の可能性は常に残る.
弁護士木内道祥氏の意見は,合理的・実際的で一考に値する.内容はこうである. 裁判になったとして,賠償金の大きさを 死亡して賠償をとられる場合 の金額 死亡せずに賠償をとられる場合 の金額 を比較すると, 前者ならホフマン計算(逸失利益の計算)だから,1億円のオーダー 後者は“慰謝料”なので,多くても1千万円を越えない. したがって,“実際問題としては”,輸血をした方が安全である! (諏訪邦夫編著:“麻酔を引き受ける前に” − 第3回日本臨床麻酔学会シンポウジアム記録,克誠堂 1984)
現在でも,この問題は解決がついていない. たとえば,聖マリアンヌ医大や筑波大学は,病院の方針として“断固輸血する”と定めている. 一方,別掲のように東京都の指針は“成人で定時手術の場合は患者の意志を尊重する”という考え方が基本になっている. 公的な組織でさえもこの位に見解がわかれている.
私自身の考え方 私自身は“輸血する”方針に傾いてきている.理由は二つある. 一つは上記の7)に説明した“実際的な意味で”の賠償金の算定の問題であり,もう一つはその後の経験で,患者と話したり,信者と話すと「建て前と本音」の差を何回か感じた点である.つまり信者は「建て前」として“輸血して結構です”とはいえないが,「本音」は医師が勝手にやってくれれば文句はいわない,という印象を受けたことが何回かある.そうは言っても,“成人で,予定手術”なら,現在でも輸血しないかもしれない.
付記: 1993年秋に,エホバの証人の患者が“意志に反して輸血された”として,民事訴訟を起こした.これは著者の知る限り日本最初の訴訟である.賠償請求額は1千2百万円. 一審の判決では,「医師が患者を助けようとする信念は,不合理な宗教的信条よりも上位におくべきもの」として,原告敗訴.原告は,もちろん控訴した.
キーワード:物見の塔,エホバの証人,裁判,病院長の許可
文献は数多いが例えば,諏訪邦夫他:麻酔 29:274980.
--------------------------------------------------------------------------------
諏訪邦夫
| |