麻酔深度とMAC(マック)
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麻酔深度 通常の覚醒状態から近いのを“浅い麻酔”,遠いのを“深い麻酔”とよぶ習慣で,睡眠の深浅と同じ用語を使う.こうした患者の症状と麻酔薬の量とは,ある程度相関する.
麻酔がどの位の浅いか深いか,つまりどのレベルに“かかっているか”は,かってゲデル(人名)が提案した各種の徴候を使っていた.「ゲデルの表」である.この表は,現在でも数多くの麻酔学教科書に掲載されている.
しかし,実はこのゲデルの表は現在の麻酔学・麻酔の臨床ではまったく意味がなくなっている.
意味がない例:
呼吸のパターン:ゲデルでは,呼吸のパターンが麻酔のサインの重要な要素とされるが,人工呼吸の多い現代麻酔では役にたたない. 瞳孔の大きさも,エーテルでは有用だが,フッ素化合物(ハロセン・アイソフルレン・セヴォフルレン)では明確にでない.アトロピンや麻薬を使用している条件でも意味がない. それ以上に,現在のように筋弛緩薬や硬膜外麻酔を併用する全身麻酔ではまったく使えない.
MAC(マック) MAC“ Minimum Anesthetic Concentration ”の略. 吸入麻酔薬の potency(強さ:力価)を表わす指標.
[定義] 強い痛み刺激に対する体動反応を指標としたED50をいう.通常は濃度を%であらわす.「ハロセンのマックは0.75%」という場合,脳組織が0.75%ハロセンと平衡状態にあることを表現している. 厳密な論理では,マックは分圧で表現すべきである.そうすると,“ Minimum Anesthetic Pressure:MAP ”というべきかも知れない. 「ハロセンのマックは0.75%」というよりも,「ハロセンのED50 分圧は5torr(=713×0.0075)という方が科学的である.大気圧が変化しても,ED50の分圧は不変であるが,マックは変化するからである.しかし,臨床麻酔でも吸入麻酔薬は濃度で表す習慣で,分圧表現はしないので,こちらも慣習的に“MAC”を使っており,“MAP”とはいわない. 笑気のマックは100%強,ハロセンのマックは0.75%,エンフルレンのマックは1.7%程度である.但し,年齢その他の因子に依って変動する.マックを指標として見るかぎり吸入麻酔薬の作用はほとんどすべての組み合わせで相加的であり,相乗的でも拮抗的でもない.
MACを定める方法はいろいろあるが,その例を示しておこう.
10人の患者を対象に最初の皮膚切開時の体動の有無で調べる場合.
1) まず麻酔レベルをほぼ定常状態とする. 2) 肺胞気の濃度(終末呼気の濃度)を測定しながら皮膚切開をくわえ,体動の有無を記録する. 3) これを10人の患者に繰り返す. 4) 下のようなデータが得られたとしよう. 0.7% → 体動あり 0 0.73% → 体動なし 1 0.75% → 体動なし 2 0.77% → 体動あり 2 0.78% → 体動なし 3 0.8% → 体動なし 4 0.81% → 体動あり 4 0.82% → 体動なし 5 0.85% → 体動なし 6 0.9% → 体動なし 7
5) これを投与濃度の順序に並べて,体動のなかったものの累積の頻度を計算する.最後の数字がそれである. 6) 横軸に濃度,縦軸に累積有効頻度をプロットし,回帰直線を求める. 7) 累積有効頻度=0.5に対応する濃度がMACである. 8) 上の例では MAC=0.834 となる. 9) 横軸は,濃度を算術スケールでとるよりも対数にした方が,理論的にも実際的にも優れている.この例では両者の差は殆どない.MAC=0.833
同様の処置は単一の個体で10回行って「その患者のMAC」を定めることもできる.MACが年齢に依存することの検討には,個々の患者で定めた方が少数例でよいデータが得られる. MACの値は,通常の薬物のED50 と比較して非常に安定している.個人差も少ない.これは吸入麻酔のファーマコキネティクスやファーマコダイナミックスによっている. MACの問題点と欠点 “強い痛み刺激に対する体動反応”という基準は, 臨床における意義は深いが万能ではない.そもそも“麻酔とはどんな状態か”“どんな状況をつくるべきか”という考え方もはっきりしていない.
静脈麻酔の深度をどう規定するか:深度そのものはMACと同じ指標を使っていいけれど,濃度の測定がむずかしい.吸入麻酔の場合は,ある注意を払えば血液中濃度と脳の濃度は分圧平衡にあると考えていいが,静脈麻酔ではこの仮定は成立しない.
[蛇足] MACは,当初はMinimum “Alveolar”Concentration の alveolarの語は適切でないので,Aはanestheticを充てようとの主張が通った.
参考:MACについてAnesthesiology 1965 文献: Eger EI Saidman LJ Brandstater B. Minimum alveolar anesthetic concentration: a standard anesthetic potency Anesthesiology 26:756-763. 1965
諏訪邦夫:吸入麻酔のファーマコキネティックス. 克誠堂.東京.1986. Pp.1-168
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諏訪邦夫
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