1960年代のモニター
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私は,1961年に医学部を卒業し,当時のルールで1年のインターン(虎の門病院)を済ませてから,1962年に麻酔の修業を開始しました.1963〜66年までMGHで過ごしています.
当時,1962年〜1965年頃のモニターのことを記載しておきます.
血圧(水銀柱をつかった間接式):これはだいたい測定していた.
測定は,コロトコフ音によるので,血圧が下がると聞こえなくなるのがふつうだった.
タイコスの針の動きでみる:オッシレーション法の原始的なもの.
1965年初頭にフィラデルフィア小児病院で,小児麻酔のトレーニングを受けた折りに習った.
聴診器:通常の形のもの.
食道聴診器は,1962年の東大にはなくて,1963年にMGHに行ってはじめて見た.
しかし,1963年にはMGHではルーチンには使っていなかった.
1965年頃から,特に小児に対してMGHではルーチン使用がはじまった.
プローブ部分は,気管内吸引のカテーテルにペンローズドレーンのゴムをかぶせ, 凧糸で両側をくくって,自作していた. 耳側のアタッチメントを病院の施設が作ってくれて,使いよかった.
EKG:手術室に1〜2台あって,特殊な症例に使用.この点は,MGHでも同じ.
体温計:水銀式の他に,電子式が手術室に1〜2台あって,特殊な症例に使用. この点も,MGHでも同じ.
直接動脈圧測定:心臓手術は全例使用.他に,特殊な症例にも使用していました.またMGHでは血液ガス測定の研究が盛んで,その目的で動脈カテーテルを入れていることもあった. 1962年頃の日本には,カテーテル式の留置針がなくて,鉄製のクールナン針を肘に留置するか,心臓手術では大腿上部を切開して大腿動脈の枝に留置していた.また,トランスデューサーを使わずに水銀まのメーターにつないで,平均動脈圧を読んでいた. 1966年に日本に戻ってみると,カテーテル式の留置針(八光社のもの)が出来ていたが,動脈に入れる技術が完成しておらず,成功率は低かったのが事実である.
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諏訪邦夫
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