「笑気は麻酔は弱いが無痛作用は強い」は矛盾か
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この文章は,雑誌「臨床麻酔」の質疑応答欄に書いた諏訪の解答を再録
質問: 「笑気は麻酔作用は弱いが無痛作用は強い」と記載された麻酔科学の成書が多いようですが,麻酔作用の中に無痛という要素があるのを考えると矛盾しないでしょうか.
解答: 矛盾しない.これは笑気の無痛作用が強いことを「強調」する文章であって,麻酔と無痛を対比する文章ではない.もちろん,論理的な正確さを求めるなら「笑気は無痛作用以外の麻酔作用は弱いが,無痛作用だけは強い」というべきである. 質問者の意図は,麻酔のなかでの無痛をどう位置付けるか,という麻酔学の問題ではなくて,BがAに含まれる状況で「Aは弱いが,Bは強い」と対比的に叙述するという,言語論理を問題としているものと解釈する.その意味では質問は正当であり,こうした文章に疑問を感じた言語感覚は大変に鋭いものと評価したい. しかし現実問題としては,言語は「複雑な」人間の頭脳が−−もっと正確には「曖昧さを得意とする」人間の頭脳が−−,作りあげ使用しているものである.この文章に関していえば形式は対比でありながら,内容は“強調”である.全体を弱く否定しながら部分を肯定することで,その部分を強調している.この質問によく似た表現を下に列挙してみよう.
野球選手としてはたいしたことがないが,バッティングはいい. 美人ではないが,眼がパッチリしている. たいした麻酔医ではないがブロックは上手だ. 教授としては二流だが講義はうまい. 論文としては平凡だがしっかり書いてある. 下らない本だが読みやすい. どの文章も前半が包括的,後半は前半の一要素であって,だから対比というよりは強調の要素が強い.一般的には後半部を強調する文章である.ただし,場合によっては後半でにげながら前半の否定を実は強調している場合も少なくない.
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諏訪邦夫
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