麻酔時の肺酸素化能低下のメカニズム
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手術中の肺の酸素化能低下のメカニズム
手術時の肺の働きが悪くなるのはなぜか. 結論を先にいうと,肺の一部が潰れる.肺が潰れると,その部分を流れる血液が酸素をとれなくなる.酸素をとらないまま肺を通過するので,動脈の血液の酸素のレベルが低くなる. これにはいくつかの要素が組み合わさっているが,まず項目だけ上げる.
仰向けにねること 気管内挿管 麻酔薬の作用 手術による肺の圧迫 の四つである.
「仰向けにねるのが肺の働きに悪い」というのは,意外な事実である.それまで肺の働きの研究は,たいてい立位や坐位で行なっていたので知られなかった.人体は立位なら(たてになっていれば)重力で肝臓や胃袋が下に下がる.横隔膜も引張られて下がるので,胸郭の容積が広くなり,肺が大きくふくらむ.つぶれた部分がなくなって,肺が良好な状態で働ける. 仰向けにねると,肝臓や胃袋の目方が横隔膜にかかり,これが胸郭の容積を小さくするので,肺の一部が押しつぶされる.
二番目は,気管内挿管が関係している.声帯は息を吸いこむときは広くひらき,吐きだすときは少し狭くなる.これによって平均的な肺の容積を大きめに保っている.ところが,気管内挿管でこうした効果がなくなる.それで,胸郭も肺も小さくなり肺が一部潰れやすくなる.
三番目は麻酔薬の作用である.麻酔薬は筋弛緩薬ほどではないが,やはり筋肉の働きを抑える.そこで胸壁や横隔膜の緊張が弛んで胸郭の前後径が小さくなり,同時に横隔膜が頭の方へ移動する.それで胸郭の容積が減って肺がつぶされる力となる.
四番目は手術の影響である.手術には,一部の臓器を脇へどかさなければならない.胃や胆嚢など上腹部の手術の場合,手術で邪魔なのは肝臓である.その肝臓を上に,つまり横隔膜に向って押しつけるので,ますます肺がつぶされる.腹腔鏡の手術や大きな腫瘍を横隔膜におしつけながら施行する手術を考えれば分りやすい. 以上挙げた四つの因子のうちで,どれがどのくらい重要かははっきりしない.他にもまだ問題はある.ともあれ要するに,麻酔中には,とくに腹部の手術を受ける際には,胸郭の容積が極端に小さくなって,肺が「小さくしぼんだ状態」になり,一部が潰れてしまうのだということである.
対応: ただ,現在ではいろいろな工夫で,こうした問題にある程度対応できるようにはなっている.一つは肺や呼吸の問題自体を工夫して,働きを良好に保てるように努力しており,もう一つは肺の働きが悪くても大丈夫なように血液の酸素のレベルをチェックしながら与える酸素の量を必要量まで上げていく.
蛇足: この文章は,私が一般向けに書いた「麻酔の科学」(講談社ブルーバックス)の文章とほぼ同じです.
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諏訪邦夫
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