アメリカへ行く直前最後の麻酔で術中死
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私が最初にアメリカに行ったのは,1963年6月27日のことでした.たしか月曜日のはずです. この時は,私は東大では麻酔科の2年生になって少したったところでしたが,そのアメリカへ行く直前の最後の手術の麻酔が術中死でした. 患者の性や年齢は記憶していませんが,膿胸の患者さんで(なつかしい病名ですね), 肺の部分切除か何かを予定していたのでしょう. 当時は,現在のようなティスポの優れた気管支挿管用チューブはなくて,いわゆる「カーレンスのチューブ」だけしかありませんでした.それを挿入しようとしたのですが,どうしてもうまく収まりません.ファイバーの気管支鏡などはもちろんなくて,聴診器で呼吸音を聴いての判定です.何回も試みた後,結局だめなので指導の先生が「まあよかろう」という訳で,ふつうの管を入れました. それで患者を横向きにして手術を始めましたが,あっという間に血液とおそらく分泌物(膿を含む)が反対側に流れ込んでしまい,みるみる患者は黒くなって手術台の上で亡くなりました.手術をしていた外科の教授は私の麻酔の指導をしていた方の師にあたる方でしたが,麻酔がガタガタいろいろやっていると「いや,もうダメダメ.XX君(私の指導者の名)あきらめなさい」というようなことをおっしゃって,さっさと手を下ろしてしまいました.その後どうなったのか記憶がありませんが,私は何もすることはなかったのでしょう. 1963年の開胸手術・肺切除術はこの程度の水準だったのです.
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諏訪邦夫
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