老人の生理的変化と麻酔上注意すべき点
-------------------------------------------------------------------------------- 老人を対象とする医療は急速に重要度を増している.老人の特徴はいろいろあるが, 機能と予備力が低下する 加齢によって各種疾患の罹患率・重症度が大きくなる 同年齢でも個体差が大きい という三つに集約される. 新車の機能は,同一車種ならばどれもほぼ同じであるが,つかって行くうちに,性能が低下し,特定の部品が故障を起こし,しかも使い方やケアに仕方によって,性能の差が大きくなる.
基礎代謝と体温 30歳を超えると基礎代謝は1歳で1%低下する.80歳では半減に近い.当然,薬物の代謝や排泄も低下する.体温の調節能が下がるので,手術中の低体温が起りやすくなる.
呼吸 安静時の換気量は不変であるが,予備力が低下する. 70歳の人を20歳の人と比較すると,肺活量は40%低く,MVVは60%も低い.Pao2 が加齢10歳毎に3程度低下することもよく知られている.
循環 心臓のサイズの変化:心室は小さくなり心房は大きくなっている.心室中隔は厚くなっている.心臓の弁の変形やカルシウム沈着がある.大血管の動脈硬化は,程度の差はあっても必ず存在する.冠状動脈は,延長して曲がりくねっている場合が多い.狭窄の存在の率は年齢とともに増加する. 心機能の予備力は当然小さい.安静時の心拍出量は同じサイズの若年者の70%しかない.心室機能曲線は右により,最高レベルが著しく低下する.心室は収縮速度が低下する抱けでなくて,弛緩の速度も低下する.心房の収縮による心室の充満の役割の重要度が増す. カテコールアミンへの反応は,ペースメーカーも心筋も,血管もすべてのレベルで低下している. 神経末端でも流血中でも,カテコールアミンレベルそのものは高値になっている.
脳と中枢神経系 加齢によって脳の体積や重量は低下するが,脳血流/単位質量はほとんど変化しない.酸素消費量もほぼ同等に保持される.もっとも,灰白質の量が相対的に減少し,その部分の血流や酸素消費はやや低下することが判明している.化学伝達物質濃度の低下も判明している. 自律神経系の反応が遅くなり,弱い.交感神経系の線維の数が減り,伝達速度も遅くなっていることが証明されている. マックを指標とした吸入麻酔薬の力価は,80歳の患者では30歳の患者の70〜80%である.
肝臓と腎臓 肝機能も腎機能も低下する.70歳では肝血流も腎血流も半分になる.肝のマイクロソーム酵素系の活性も約半分になる.したがって,薬物の代謝と排泄が遅い.
麻酔の問題をどう考えるか 吸入麻酔薬の所要量は,マックを基準にして明らかに少ない.他の全身麻酔用薬物の場合,吸入麻酔薬ほど明確ではないが,この傾向はさらに大きいとされている.理由は,中枢神経系のレベルでの所要濃度が低下する他に,蛋白結合が悪化して相対的に中枢神経系に分布する分劃が増加するからである. 硬膜外麻酔での所要量の低下は確立している.通常は硬膜外腔の容積が減少するためとされるが,神経膜の透過性や結合の親和性の変化の要因も否定できない. 脊椎麻酔の所要量は加齢による低下が必ずしも明確でない. 筋弛緩薬所要量は,加齢によってあまり変化しない.筋力は低下するが受容体は数が増すらしい.サクシニルコリンの作用時間は延長する. 循環系の余裕がないので,各種薬物の循環系の副作用は強く出る.とうぜん,吸入麻酔薬をはじめ,各種の薬物の抑制作用が強い. 薬物の代謝が鈍く排泄が遅いので,作用時間は延長する. たとえば,フェンタニル・ディアゼパム・ベクロニアムなどの作用時間の著増が確認されている. カテコールアミンをはじめ,各種の刺激薬の作用が弱い.
時定数: 時定数は,純理論的には延長しているはずである.容積の低下以上に血流の低下が大きいからである.実際に,作用の速い薬物の作用開始の遅れが証明されている. 実際には,時定数が短くなったように見える場合もある.予備力の低下や動作点の変化(たとえば,心室機能曲線の平坦部に近い部位で動作)などの理由で,むしろ反応ははやくでやすい.一見,時定数が短くなったように見える.
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諏訪邦夫
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