電子版麻酔学教科書

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  脳死に関して麻酔の立場から #8
投稿者  諏訪邦夫
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投稿日時  2001年02月11日 13時33分
脳死に関して麻酔の立場から

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東京大学医学部麻酔学教室
諏訪邦夫
この文章は,下に示した雑誌の発表の文章に少し手をいれたものである.

最近の心臓移植術に関連して再び脳死の問題が議論されるようになった.私は脳死の問題を特に研究したわけではないが,現在の議論においてみのがされている点や疑問に思う点,特に麻酔医としての特殊な立場からの問題などを提出して,読者諸氏の討論を促したい.


自らの経験から:
日本で脳死患者を対象に麻酔を行った経験は筆者にはないが,米国で脳死患者からの腎採取の麻酔を担当したことがある.その際,生体からとる普通の腎移植の場合とは,全く異なる「いやな気持」がしたことを記憶している.
その時の気持を後になって分析してみると,「これは本来私のやるべき仕事ではない」,「普通の手術や診断のための麻酔とはいちじるしく異なる仕事だ」という気持であったように思う.当時の私は患者が脳死であったか否かを明確に考察したという記憶がないが,とにかく麻酔終了後は明かに患者が死んでいる,という事実,しかもそれをはっきりと予測して麻酔を開始する,というあたりが「いやな気持」の理由であったろう.

「死体を麻酔する」ことの問題:
脳死そのものの問題は後で考察するとして,ここでまず脳死を一応認めてその脳死患者に麻酔を施行して腎などの臓器採取をする場合の麻酔医の立場を明確にしておこう.「脳死」を認めるとすると,我々の業務は「死体を対象に麻酔を施行する」ことになる.この点は,本来の日常の業務とは全く異なる行為である.
死体を対象として医療行為を行うことは,移植外科医には抵抗がないのかもしれないが,麻酔医の立場からみれば倫理的にも感情的・感覚的に抵抗感がつよい.我々の日常経験にはないことであるから,当然である.業務の内容は「死体」を処理するのであるから,一方で病理学者の倫理感・倫理基準を持ち,能力としては呼吸循環の管理能力を盛った医師にこそふさわしい仕事であるといえよう.
そうはいっても,現実には麻酔医が麻酔を担当せざるをえないのは十分に予測できる.医療全体の枠組みからみても,それが妥当かもしれない.その場合に,麻酔医は何の苦しみ・痛みもなくその業務に従事できるであろうか.この点に関しては,個々の麻酔医も心の準備と意見の表明とが必要かもしれないし,同時に日本麻酔学会を始めとして麻酔医の集団としても討論し,見解をまとめておくことも有意義であろう.いや,是非行っておくべきことかもしれない.
現場に当ってどのように行動するかは別として,状況がさしせまっていない現時点での個人としての気持とすれば,なるべくこの仕事は避けたい気はする.アメリカを始めとして諸外国においては,D&Cの麻酔を拒否する麻酔医,麻酔ナ−スがカトリック信者を中心にかなり多数いる.脳死の問題に関してこれと類似の立場を認めてもよいのではないか,とも考える.即ち,「他人がこの仕事をするのはその人達の自由として認めるとして,私が拒否する自由も認めてほしい」というやり方である.特に痛みのつよい方々のために採用を考慮してもよいかもしれない.脳死に関しては欧米諸国と日本とはかなり異なっているから,諸外国の例は参考にはならないかもしれないが,あるいは参考になる例があるだろうか.

脳死は「死」か,という疑問に対して.
筆者は「脳死は死である」と基本的に認める.それにしても,下のような幾つかの疑問点に対して,明解な解答が欲しいと考えている.
「人間の人間たる所以は脳にあるから,脳死は死である」という主張に対し:

何故「脳幹」にこだわるのか.自発呼吸は他の動物も行っているし,一般に下部脳幹の機能は「植物機能」ともよばれる位であって,勿論個体の“維持”からは大変に重要な機能であるが,「人間を特徴つける機能」ではない.
意識があること,思考すること,外界と高い密度で情報を交換すること,などが人間を他の動物植物から際立たせている特徴であろう.とすれば,植物人間(脳幹の生きている)こそは「人間としては」死んでいることになる.確かに植物人間は意識を回復することがあるから,「死」とすることが不適切なことは十分に理解できるが,「回復した症例があるから死ではなく,回復した症例がないから死である」という主張は,脳死のように人間の尊厳を扱う基本問題への解答としては,あまりに粗雑で便宜的すぎるのではないだろうか.
「脳死では必ず心臓死が起る」という主張に対し:
脳死の「専門家」は,脳死では必ず心臓死が訪れ,その間隔は長くても高々一週間程度である,と主張している.このステ−トメントに対して二つの点で疑問を提出したい.

事実の問題として本当にそうなのか.それはどの程度に「一生懸命に」しかも「上手に」全身管理を行っての話なのか.上のような主張をしているのは,殆どが脳神経外科医のようであるが,循環系の管理を専門としている循環器専門医,心臓外科医,胸部外科医,全身管理の専門家であるICU専門医や救急医療専門医の意見をききたいものである.勿論,筆者に特別の資格があるとは思っていないが,感覚的にも学理的にも「もっと長く生かすことも可能」とも思えるのだが.
(追記:この点に関しては,その後いろいろな薬物や手段を使用して,やや長期生存の例がでてきているようである)
「脳死では必ず心臓死が訪れる」として,その間に何が起って来るのか.そこの生理学面の説明が欲しい.循環器の専門家はこれで納得しているのか.もしこれが循環生理学の面から判明している事実であるなら,正確に,科学的に説明して欲しい.循環系の活動のために脳幹が絶対に不可欠のものであるとしたら,
どの点が不可欠なのか
その不可欠な脳幹の死の後も一日乃至一週間は生きるのに,それ以上は生きられないのは何故か.
我々の行っている医療においては,メカニズムが明確に判明しないまま実務的には採用されている事柄も多いから,こうした要求はやや酷に過ぎるように思えるかもしれないが,我々には「事実」を追試することは不可能に近いのであるから,少なくとも論理的な筋道のたった説明は欲しいのである.


文献:
諏訪邦夫:脳死に関して麻酔の立場から 麻酔 34:551-552 985.


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諏訪邦夫

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