産科麻酔
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分娩に伴う痛みを除去するのが産科麻酔である.
通常の経膣分娩に対して麻酔を施行することは,我国では一般化していない.
分娩初期(陣痛初発から子宮口開大まで)に対する麻酔の施行も,極く一部の施設に限定されている.
痛みは除去すべきか耐えしのぶべきか: 「分娩に伴う痛みは,除去すべきものでなくて耐えしのぶべきもの」とする風土が基礎にあろう.これは,手術の麻酔に関してもある程度いえるし,特に術後疼痛に関しては日本人の考え方の根底に残っている. ヨーロッパでも,同じ考え方であったものが,スノウによるヴィクトリア女王の産科麻酔を契機に打ち砕かれたのだ,ともいう.
催眠術: 催眠術(Hypnosis)の理論と技術を用いる方向が,一部に喧伝されている.確かに薬物に頼らない利点は大きいが,確実性に乏しく施行も容易でない.
分娩誘発と“手術としての出産”: 欧米や日本の一部の病院では,“お産は誘発を基本とする”行き方も始っている.朝9時に手術室(分娩室)に入れて,一斉に誘発してしまうのである. この方法は“自然”ではない.しかし,単に医療側が「便利」なだけでなく,患者の安全管理の面からも優れており,必ずしも一笑にふすべきことではない.十分考慮に値すると考える. 妊娠を継続する場合の麻酔選択に関しては別項参照 妊娠を継続する場合の麻酔と催奇形性
蛇足: 新生児死亡は,欧米先進国でも日本でも,千人に10人以下である.日本は,先進国の中でも非常に良好である.ところが,妊婦死亡率は欧米先進国では10万人に1例以下だが,日本では3万例に1例位と多い.日本の妊婦管理とくに産科麻酔の遅れを示している証拠とされる. Rosen M, Fujimori M. Maternal mortality and manpower. Comparisons in relation to anaesthetists, obstetricians, and paediatricians in England and Wales and in Japan. Anaesthesia 40: 892-895. 1985. ただし,この少数の妊婦死亡を欧米なみにするためには,非常に費用がかかる.
試算: 5人救うために10万件の麻酔が必要と仮定する. 麻酔1件を10万円とすると,5人の生命が10の10乗円,つまり一人2億円の費用がかかる.お金だけでも不可能に近いが,実際には“人”が必要で,これからではまあ無理だろう.
蛇足追加: 上記のデータは1985年のもので,1995年頃になると,妊婦死亡率は大幅に改善して,数分の1になっているらしい.
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諏訪邦夫
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